どうしようもない気持ちになった話
昼に会った知り合いと、遊んだ。
その人とは、たまたま会った。午後13時すぎ、偶然会い、21時近くまで一緒にいた。そんなよく知らない相手だし、その人の事を良く思うことは自分は一生できないと思うのに一緒にいてしまった。本を読み、喫茶店に入り、水を見て、長い道のりを歩き、足が痛くなるので何度か座れるところに座った1日だった。
今日はいい天気で、夕方には印象派の絵画のような夕暮れだった。それでも夜は惜しくもきてしまう。今思うと今日は夜が来なければよかったんだと思う。
19時くらい、ベンチに座り話をしていた。自分は、あまり自分の話がしたくない。理解されないと思うし、同情されていろんなことが淀んでしまうような気もしてしまう、アイデンティティとして盛り込みたくない部分がある。
だけど最後の方には、夜らしく暗い話をした。身の上話的なこともした。自分の苦しさみたいなのを話されて、相手にいえるような苦しさのある人はいいなと思った。わたしの方が不幸だと言いたくなりましたが、そういう痛みを比べるような思想がそもそも嫌いだったことを思い出して、反省した。反省をしからきっと立派な人間になれると思う。
その場で自分は性別を名乗りたくないという話をしたりした。そして子供を産みたくない話をした。そういうことをみんな言うよという話をされたので、そういう次元の話じゃないと自分は言い返していた。暗い中で泣いていた。悲しくもないんだけど、悲しくなって泣いてしまう。タガがいつからか外れている気がする。
後に、相手は女の子はどう〜といった話をそれでも続け何も分かられていないのだと少し不愉快だった。
わかり合うことはできないだろう。
それなのに、一緒にいてしまったのは相手に良いところを見いだしたかったからだと思う。相手は、私が好きだった人に似てる。(表に現れた形として差はある)
似ていると感じるところは、私自身と趣味が近いところ、それでもその趣味から別のものを感じてるところ、別のものというのが崇高そうに見えるところだった。
重ねてしまうのに、どうしても重ならない。好きだった人は、この人に恋人ができたらと思うと苦しい気持ちになった、誰にも取られたくなかった。
好きだった人に重ねる相手は、恋人ができたら新しいおもちゃを見つけたのかなと冷たく思ってしまうんだろう。いやちょっとは悲しいかもしれない。
最後に、家に行っちゃダメなのって聞かれた。ダメに決まってるだろう。
おもちゃにしたのは、自分の方かもしれない。こんなことを言うから、滑らかな人間関係を築くことは自分にはむずかしく、こんなことを言ってしまう。