ここは何も降らない

泣いてる日は、手のひらで猫を作り口にそっと入れる

ぬるっと生きてしまっている

生きている意味が分からない。

 

前進がない、これといった生きがい(これがあるからまだ生きていようと思うような希望)がないからいつ死んでも同じだなと思う。

 

電気料金の支払い締め切りが自分の誕生日だった、気がついていたけど、もう少しで20歳だと気づいた。10代で死ぬことに対してそこまでの輝きは前ほど感じないけど、死ぬなら誕生日の前までに死んだらいいと思う。面白いことも言えないし、考えはまとまらないし、何をやればいいのかわからないし(これは自分の努力が足りないだけだけど、全ての出生が親のエゴだとするなら自分は悪くないということを時々考えてしまう)、なんとなくエヴァンゲリオンを見てみたり、寝てみたり、インターネットをしたりしている。

 

前進が欲しい、前進があるとしたら歳をとることだけで、後はやりたいのかもよく分からないけど時々楽しいなと思うようなことをかじってかじってめちゃくちゃにしているといった感じだ。

 

本当は構ってほしい、心配してほしい。でも、自分の痛みはあまり美しくないから人目をひかない、そういえば容姿も良くない、容姿にあまりこだわりはないけど、時々ほんとうに綺麗な人を見て苦しい。

 

仲のいい友達に、自分が何かやってしまいそうで怖い。友達というカテゴリがあったとして、その中では初めて感じたぐらいその人のことをすごく好きだけど、相手は大したことないんだろうと思うといつもの一方通行の重たい愛だ。すごく好きだとはずっと言えないんだろうとも思う、いやいつか言いたい。

 

 

いくつかの悩みを誰にも言わないで生きている。自分の大好きな友達は自分と境遇こそ違うけど、自分の持つ悩みに関することと似たことを経験していてシンパシーを感じた、でもその悩みを話そうと思ったことがそもそもないから、話す気にならなかった。時々、自分の苦しさはそういう事情とそれに対する頑なさから来ていると強くと思うことがある。

 

つまり、知り合いの繋がっていないツイッターアカウントがほしい、なんでも言いたい、誰とも繋がっていないここですらはっきり言えていないから駄目かな。後、リアルのアカウントでフォローした高校の時に好きだった人(1年以上会ってないし、最後のメッセージも既読無視だけど本当はまだ好きだ)にはフォローを返してほしい。気持ち悪くて、気持ち悪い、なんで生きているのか。前進しない、生きていようと思えない、生きがいがない、いつ死んでも同じだと感じる。