ここは何も降らない

泣いてる日は、手のひらで猫を作り口にそっと入れる

夏休みの予定など

 

やっと夏休みになった。

 

前回死にたいような気持ちを書いていたけど、夏休みが始まることで元気になってしまった。少し前はおかしいくらい元気で、自分でこわかった、掃除用具をいっぱい買って掃除をした。掃除の過程はまあ楽しいと思ったけど綺麗な部屋で生活をしている自分を想像することは上手くできなかった。風呂を念入りに掃除したから今なら舐めることもできるみたいな事を書こうとしたけど舐められないと気づいて気持ち悪くなった。

 

学校は8月まで授業をやっていて、休みがなかなか始まらなかった。去年は浪人生という名のニートで毎日休日だったにもかかわらず、高校までの7月の下旬くらいから夏休みが始まる感覚を捨てきれないでいたからものすごく違和感があった。暦が手前にいて、自分が後ろにいるようなずれた感じ。

 

テストの終わった日は友人と遊んだ、昼から夜中の1時半くらいまで一緒にいてまだ酒を飲めないから素面なのにおかしなテンションでいた。おかしなテンションといっても、やることは夜の空気にあてられて元気になりひたすら話しながら歩くみたいなことをしているのだった。だから夏休みの始まり方は賑やかだけど静かな始まりだったと思う。

 

休みの間にすることについて、まず私には実家に帰る予定がある。そこでする予定がないので多分寝ていると思う、部屋の片付けとかをするかもしれない。アニメとかを見て過ごしたい。

 

天気の子を最近見た、自分は1度で消化しきれず、2度見たんだけどそれでも分からないことは多い。たくさんの人が天気の子の感想や解釈を書いているから、それを読むのが自分で本編を観るのより楽しいと思ってしまう。語り口は様々だけどアニメの系譜の目線で書かれているものが面白かった。私は本編を観ている時は村上春樹のことを意識していて、例えば"100%の晴れ女"という言い方は『四月のある晴れた朝に100%の女の子に出会うことについて』だなと思うし、ツイッターで調べても同じことを言っている人はいた。他にも電車で家が揺れることに主人公が驚く場面は『チーズケーキのような形をした僕の貧乏』でも家が揺れる描写がされていることを思い出した。これは単に東京の表現なのかもしれないけど。色々読んだ解釈とかを踏まえてもう1度観たいと思っている、新海誠がまた儲かってしまう。

 

夏休みが始まることでなぜこんなに元気になれたのかと考えてみると、好きだった人に会えるかもしれないという期待からだった。メッセージを4ヶ月無視されている時点で閉口を禁じ得ないのに、最近ツイッターのフォローが返ってきたからまだ大丈夫かとも思っている。あっちから言ってくれた「今度行こうね」はもはや呪いで、今度行こうと言ってくれてもいつもこっちが具体的なことを言わないと話が進まないのを知っている。相手と自分との今度行こうねにどれだけ温度差があるのか知らないけど、今度行こうねで自分が救われていることを相手は本当は知ってるんじゃないかと思う。こんなことを悶々と考えなくても好きでいたくて泣けてくる。