ここは何も降らない

泣いてる日は、手のひらで猫を作り口にそっと入れる

生きることはむずかしい

 

暴力が絡んだ凶悪な事件をよく耳にする。

 

何か起こるたびに、人間の破綻した姿に私は驚いてしまう。

 

人間は、理性的であるということを前提に話を進めてる気がする。だけど、それと外れたところがあるような気もする。

そして、そういった外れた種類の出来事が、報道の中にはあり、自分たちが受け取るものは報道のもつ性質として起こった事を受け取る訳だから、それらが抗いようがない事と認識してしまう。

 

ずっと前、事件がまったく起こらなくなったらどうなるのだろうというような事を思い浮かべたことがある。そしてその次の瞬間には、そんな事はこれからずっとないだろうと考えていた。

 

世界は、嫌うものとして悪に属する範囲をもちながら、悪に完全に打ち勝つことには完全に負けていて、それでもいい方向に向かいたいとは思いながら多くの人々は生きていると私は感じている。でも、完全に勝つことができないのに人間としての意味はあるんだろうか。

 

そんな事を書いていて思ったけど、世界の人口に対しての殺されて亡くなった人の割合とかって年々減ってたりするんだろうか。なんだかそういう数字がないと希望が持てない気がする。

殺されて亡くなった人といえば死刑執行された人というのも殺されて亡くなったといえるんだなとか浮かんできて、また違う問題の発生に頭をひねっていた。

 

恐ろしいことが起こると、自分もそれに巻き込まれるんじゃないかと考える。実際いつ起こるかは本当に分からないものだろう。報道で触れる凶暴さに人間の限界を感じ、こうやって破綻したまま生き続けるくらいなら人類は消えてしまうべきだろうとすら感じる。